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平成13年(ワ)第2870号,平成14年(ワ)第385号

原 告  ○○○○ほか62名

被 告  国ほか1名
                 第1準備書面

                               平成15年 1月17 日
千葉地方裁判所民事第5部合議係 御 中


                      被告国指定代理人  小 尾   仁

                                    藤 谷 俊 之

                                    千 葉 俊 之

                                    中 野 渡 守

                                    小 泉 健 一

                                    喜 多 祐 二

                                    藤 井 郁 子

                                    武 笠 圭 志

                                    新 谷 貴 昭

                                    池 田 和 芳

                                    岩 波 徳 子

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                                    栗 原   久

                                    藤 崎   清

                                    江 沢 正 明

                                    渡 邊 貞 雄

                                    佐々木 定 春

                                    岡    靖 彦

                                    柳 原 裕 行

                                    村 上 康 聡

                                    森   健 二

                                    福 田 麻衣子




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第1 はじめに

 原告らは,@本件参拝は,国の機関として,特定宗教である「靖国神社」と結びつき,国や国の機関の権威をもって,原告らに対して、「靖国神社」への信仰を鼓舞し,称揚し,これを信仰することを強制して,「靖国神社」を信仰しない原告らの信教の自由を侵害した(平成13年(ワ)希2870号(以下「第1次訴訟」という。)訴状26ページ,平成14年(ワ)第385号(以下「第2次訴訟」という。)訴状26ページ,以下両訴状を合わせて「各訴状」という。),A本件参拝は、憲法20条1項の信教の自由から導かれる原告らの有する「日常の市民生活において平穏かつ円満な宗教的生活を享受する権利」す なわち「宗教的人格権」を侵害した(各訴状25及び26ページ),B本件参拝は、憲法前文,憲法9条から導かれる「全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免れ,平和のうちに生存する権利」すなわち「平和的生存権」を侵害した(各訴状26及び27ページ)などと主張して,被告国に対し,国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条に基づき.損害の賠償を求めている(各訴状28ページ)。

 しかしながら,本件参拝は,内閣総理大臣としての資格で行われたものではなく,公務員としての職務行為として行われたものではない。また,本件参拝により、原告らの法律上保護された具体的権利ないし法益が侵害されたものともいえない。

 したがって,本件は,国賠法1条の要件を具備しないことが明らかであるから,速やかに棄却されるべきである。


第2 本件参拝は公務員の職務行為として行われたものではないこと

1 本件参拝の概要

 本件参拝は,被告小泉が,平成13年8月13日,秘書官とともに,公用車で靖国神社に赴き,同神社参集所において「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳


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 し,本殿において一礼する方式で参拝したものである(乙第1号証の2・大脇雅子参蓑院議員の平成13年8月9日付け質問主意書(乙第1号証の1)に対する答弁書1及び2丁)。

 なお,本件参拝に際して行った献花の代金3万円は,被告小泉の私費により支出されており,他の閣僚を伴わないで参拝した(乙第1号証の2・1及び2丁)。

2 本件参拝は内閣総理大臣としての資格で行われたものではないこと

(1)内閣総理大臣としての資格で行われたか否かの区別
 「内閣総理大臣その他の国務大臣の地位にある者であっても,私人として憲法上信教の自由が保障されていることは言うまでもないから,これらの者が,私人の立場で神社.仏閣等に参拝することはもとより自由であって,このような立場で靖国神社に参拝することは,これまでもしばしば行われているところである。閣僚の地位にある者は,その地位の重さから,およそ公人と私人との立場の使い分けは困難であるとの主張があるが,神社,仏閣等への参拝は,宗教心のあらわれとして,すぐれて私的な性格を有するものであり,特に,政府の行事として参拝を実施することが決定されるとか,玉ぐし料等の経費を公費で支出するなどの事情がない限り.それは私人の立場での行動と見るべきものと考えられる。・・‥‥靖国神社参拝に関しては,公用車を利用したこと等をもって私人の立場を超えたものとする主張もあるが,閣僚の場合,警備上の都合,緊急時の連絡の必要等から,私人としての行動の際にも,必要に応じて公用車を使用しており.公用車を利用したからといって,私人の立場を離れたものとは言えない」し,「記帳に当たり,その地位を示す肩書きを付すことも,その地位にある個人をあらわす場合に,慣例としてしばしば用いられており,肩書きを付したからといって,私人の立場を離れたものと考えることはできない。」(乙第2号証。第85回国会参議院内閣委員会会議録第2号2ページ)。


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 以上は,政府の統一見解であり,これまで重ねて明らかにされているところである(乙第3号証・第154回国会参議院厚生労働委員会会議録第5号3ページ参照)。

(2)本件参拝について

 ア 本件参拝は,閣議決定などによりこれを政府の行事として実施することが決定されたものではなく,また.献花代は被告小泉の私費により賄われており,玉ぐし料等の経費が公費で支出された事実はない。

 イ 本件参拝において,被告小泉は.他の閣僚を伴わないで参拝している。
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 ウ 原告らは,「本件参拝後.被告小泉は、報道陣の質問に対して,「内閣総理大臣として参拝した。」と明言した」旨主張する(各訴状3ページ)。
  しかし,被告小泉は」本件参拝後.「総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した。」と答えた(乙第1号証の2・1丁.乙第4号証・第154回国会参議院会議録第22号(その1)5ページ,乙第5号証)のであり,内閣総理大臣としての資格での行為を表す「内閣総理大臣として」との表現を用いていない。
  「内閣総理大臣である」という部分は,私人である「小泉純一郎」が内閣総理大臣の地位にあることを述べているにすぎないから,このように述べたからといって、内閣総理大臣としての資格で参拝したことを示すものとはいえない。
  そして,被告小泉は,本件参拝以後現在に至るまで,本件参拝に関して,「内閣総理大臣として」の資格で参拝したことを示すような発言を一切していない。

エ 本件参拝において,被告小泉が,靖国神社参集所において「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し,献花に付された名札に「内閣総理大臣小泉純一郎」と記載されていたことは事実であるが,前記政府統一見解のとおり,これらはその地位を示す肩書きとして付記されたもので,その地位にある


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個人をあらわす場合に,慣例としてしばしば用いられているものであって,肩書きを付したからといって、私人の立場を離れたものと考えることはできない。

  オ 本件参拝に際して,被告小泉は,公用車を利用しているが,前記政府統一見解めとおり,内閣総理大臣を含む閣僚の場合,警備上の都合,緊急時の連絡の必要等から,私人としての行動の際にも,必要に応じて公用車を使用しており,秘書官とともに靖国神社に赴いたことについても,同様に緊急時の連絡の必要等があるからであり,公用車を利用したことや秘書官とともに同神社に赴いたことによって,被告小泉の行動が,私人の立場を離れたものとなるわけではない。

  カ さらに,本件参拝については,政府の見解としても,私人の立場での参拝と理解されている(乙第3号証3ページ、乙第4号証5及び7ページ参照)。

  キ これらの諸般の事情を総合的に考慮すれば,本件参拝は,内閣総理大臣としての資格で行われたものではなく,被告小泉が私人の立場で行ったものであることが明らかである。

3 結論

 以上のとおり,本件参拝は,被告小泉が私人の立場で行ったものであり、内閣総理大臣としての資格で行われたものではなく,公務員の職務行為として行われたものではないから,国賠法1条の要件を具備しない。
                                             
第3 本件参拝は原告らの法律上保護された権利ないし利益を侵害するものではないこと

1 原告らの信教の自由を侵害するとの主張について

 (1)原告らは,「本件参拝は,国の機関として,特定宗教である「靖国神社」と結びつき、これに関与する行為であり,国や国の機関の権威をもって,原


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告らに……「靖国神社」への信仰を鼓舞し,称揚し,これを信仰することを強制して,「靖国神社」を信仰しない原告らの「信教の自由」を侵害した」(各訴状26ページ)と主張する。

 (2)信数の自由の保障は,国家から公権力によってその自由を制限されることなく,また,不利益を課せられないとの意味を有するものであり,国家によって信教の自由が侵害されたといい得るためには,少なくとも国家による信教を理由とする不利益な取扱い又は強制・制止の存在することが必要と解されている(瀬戸正義・最高裁判所判例解説民事斉昭和63年度199ページ参照)。
 最高裁判所昭和63年6月1日大法廷判決(民集42巻5号277ページ.
以下「最高裁昭和63年大法廷判決」という。)は,「信教の自由の保障は,何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して,それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信数の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。」とし,「被上告人が県護国神社の宗教行事への参加を強制されたことのないことは,原審の確定するところであり、またその不参加により不利益を受けた事象そのキリスト教信仰及びその信仰に基づき孝文を記念し追悼することに対し、禁止又は制限はもちろんのこと,圧迫又は干渉が加えられた事実については,被上告人において何ら主張するところがない。…‥してみれば,被上告人の法的利益は何ら侵害されていないというべきである。」旨判示した。

 内閣総理大臣が靖国神社を参拝したことを理由とする損害賠償請求に関する大阪高等裁判所平成5年3月18日判決(判例時報1457号98ページ。以下「大阪高裁平成5年判決」という。)も,「信教の自由に対する侵害があったといえるためには、私人に対して,直接,右信教の自由に対する強制的干渉が行われたことを必要とするものと解される。」と判示し,「中曽根総理の行った本件公式参拝は、靖国神社に対する信仰を否定する控訴人らに


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とって不快感,憤りないし危倶の念を生ぜしめるものであったことは前記認定のとおりであるが、これらは,本件公式参拝の間接的・反射的効果であって,これをもって、本件公式参拝が控訴人らに対し,直接、その宗教的信条に強制的干渉を行い、控訴人らの信教の自由を侵害するものとはいえない。」として,控訴人らのこの点に関する主張を退けた(同旨の裁判例として.福岡高裁平成4年2月28日判決・判例時報1426号85ページ,大阪高裁平成4年7月30日判決・判例時報1434号38ページ等がある。)。

 (3)本件参拝は,原告らの信教を理由に,原告らを不利益に取り扱ったり,原告らに特定の宗教の信仰を強要したり,あるいは原告らの信仰する宗教を妨げたりするものではない。
  したがって,本件参拝が,原告らの信数の自由を侵害した旨の原告らの主張は理由がない。

2 原告らの主張する宗教的人格権について
                                                                                                     (1)原告らは,憲法13条、憲法19条を挙げた上 憲法20条1項前段の保障する「「信教の自由」の包括的態様として,原告らは,「日常の市民生活において平穏かつ円満な宗教的生活を享受する権利」すなわち「宗教的人格権」」を有しており,本件参拝がこの宗教的人格権を侵害した旨主張する(各訴状25及び26ページ)。そして,本件参拝は.「戦没者遺族たる原告ら」について,「遺族が他者からの干渉・介入を受けずに静謐な宗教的あるいは非宗教的環境のもとで、肉親の死の意味づけをし,戦没者への思いを巡らせる自由を侵害」したと主張し(各訴状27ページ),また,「宗教者たる原ら」についても,その主張する内容は必ずしも明確ではないが,同様の憲法の規定を挙げて宗教的人格権の侵害を主張するものとみられ(各訴状27及び28ページ),さらに,「特定の宗教をもたない原告ら」について,「無宗教ないし無信仰という生活(非宗教的生活)を平穏且つ円満に享受する権利を侵害した」(各訴状28ページ)などと主張している。


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 (2)しかしながら.原告らの主張する「宗教的人格権」なるものは国賠法上の法的利益とは認められないというべきである。

 ア 殉職自衛官を県護国神社に合祀したことが遺族の「宗教的人格権」を侵害するとして国等に損害賠償が求められた事案に関し,最高裁昭和63年大法廷判決は,原告の主張するいわゆる宗教的人格権につき,「人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって害されたとし,そのことに不快の感情を持ち,そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として,直ちに損害賠償を請求し,又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば,かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは,見易いところである。信数の自由の保障は,何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して,それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕,慰霊等に関する場合においても同様である。
 何人かをその信仰の対象とし,あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し.その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は,誰にでも保障されているからである。原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは,これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。」と判示して、いわゆる宗教的人格権が法的利益であることを否定した。

 イ また,大阪高裁平成5年判決も、「控訴人らの主張する宗教的人格権等の内容は必ずしも明確ではないが,要するに,……控訴人らは内心の宗教的平穏をみだりに害されない法的利益を有し,かかる法的利益が侵害されたときは国賠法による保護の対象になり得るというものと解されるところ,信教の自由に対する侵害が認められない場合におけるかかる意味


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での宗教的人格権等は,実定法上の根拠を欠くものであり,本件公式参拝によって控訴人らに生じた不快感、憤りないし危倶の念は,単に主観的な感情に過ぎないものであって、国賠法1条の保護の対象となる権利または法的利益に対する侵害と認めることはできないというべきである。」と判示した(同旨の裁判例として,前掲福岡高裁平成4年2月28日判決,前掲大阪高裁平成4年7月30日判決等がある。)。

 (3) 以上の最高裁昭和63年大法廷判決及び大阪高裁平成5年判決等からも明らかなように,原告らの主張する「宗教的人格権」あるいは「静謐な宗教的あるいは非宗教的環境の下で‥‥‥思いを巡らせる自由」は、国賠法上保護された法益とは認められないのであり,原告らの主張には理由がない。

 なお,原告らは、「本件参拝が宗教的人格権及び宗教的プライバシーを侵害する」(各訴状5ページ)などとも主張するが,結局、原告らの主張する利益の内容は,原告らの主張する「宗教的人格権」と同一であるから,この原告らの主張も理由がない。

 最高裁昭和63年大法廷判決も「被上告人は、被侵害利益として,(一)宗教上の人格権,(二)宗教上のプライバシー及び(三)政教分離原則が保障する法的利益を選択的に主張しているが,(一)及び(二)は,その主張内容をみればいずれも原審が宗教上の人格権とするところのものと結局同一に帰するのであって,これらを法的利益として認めることができないことは右に述べたとおりであ」ると判示している。

 3 原告らの主張する平和的生存権について
 
 (1)原告らは,憲法前文が宣言し,同法9条が具体化する「全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免れ,平和のうちに生存する権利」こそが「平和的生存権」であるとして,本件参拝は,憲法が定める「平和主義」,「戦争放棄」の大原則に違反し,原告らの有する「平和的生存権」を侵害するものである旨主張する(各訴状26及び27ページ)。


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 (2) しかしながら,そもそも原告らの主張する平和的生存権なるものは,その概念そのものが抽象的かつ不明確であるばかりでなく,具体的な権利内容,根拠規定,主体、成立要件、法的効果等のどの点をとってみても一義性に欠け,その外延を画することさえできない,極めてあいまいなものであり,このような平和的生存権なるものをもって,国賠法上の被侵害利益と認めることは到底できない。 最高裁判所平成元年6月20日第三小法廷判決(民集43巻6号385ペ ージ)も,「上告人らが平和主義ないし平和的生存権として主張する平和とは,理念ないし目的としての抽象的概念であって,それ自体が独立して,具体的訴訟において私法上の行為の効力の判断基準になるものとはいえ」ない旨判示し(「平和的生存権を何らかの憲法上の人格権としてとらえようとする学説があるが,本判決は、これに消極的評価をしたものといえよう。」(小倉顕・最高裁判所判例解説民事篇平成元年度225ページ)とされている。)、また、前掲福岡高等裁判所平成4年2月28日判決も,「控訴人らが,平和的生存権として主張する平和とは,理念ないし目的としての抽象的概念であって、そこからは控訴人らの具体的な権利はもちろん具体的な法的利益を引き出すことはできない」と判示し,国家賠償請求を棄却している(同旨の裁判例として,前掲大阪高裁平成4年7月30日判決等がある。)。 

 したがって,原告らの主張する平和的生存権なるものは,およそ国賠法上保護された法益とはいえないことは明らかであり,原告らの主張には理由がない。


第4 結語

  以上のとおり,本件参拝は,内閣総理大臣としての資格で行われたものではなく,公務員としての職務行為として行われたものではないし,また,本件参拝により,原告らの法律上保護された具体的権利ないし法益が侵害された


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ものともいえないから、本件は、国賠法1条の用件を具備しないことが明らかである。






















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